皆さんは『VHS(家庭用ビデオ)』についてどこまでご存知ですか?
この世紀の発明には壮絶なドラマがありました。
その壮絶なドラマの主役は、『高野 鎮雄』という日本ビクターのVTR事業部の事業部長とリストラ候補達である若手技術者達です。
当時の日本ビクターは、80億円あった業績が30億円になり深刻な業績悪化を辿っていたのです。
そんな会社の中でも落ちこぼれの烙印を押された者達を集めたのがこのVTR事業部でした。
当然彼等には先行きが見えずにいました。
その彼等に『高野 鎮雄』は家庭用VTRの開発を呼びかけたのです。
その呼びかけに答えたのが若き技術者達。
それからは壮絶な開発の日々でした。
色々な壁にブチ当たりました。
機械の軽量化、映像の鮮明さ、録画時間など今まででは不可能とされた事を可能にする必要があったのです。
そんな中ソニーが家庭用VTR『ベータマックス』を発表。
それはVHSの開発の先導指揮を執っていた『高野 鎮雄』を落胆させました。
しかし、若手技術者の熱意は冷めませんでした。
自分達の開発しているモノの方が優れていると言うのがその理由だったのです。
それでも、『高野 鎮雄』は責任者として万が一開発プロジェクトが失敗に終わった時の事を考えました。
部下に対しどう責任を取れば良いかと考えた結果、彼は事業部だけでなく横浜工場工員全員分の盆栽を用意したのです。
その数270人分。
一つ一つ丁寧に自らの手で育てたその盆栽は、せめてもの彼の気持ちの表れでした。
リストラ候補者達を一人も解雇させる事なく本社からの圧力から部下を守り抜いた彼だからこそできた事でしょう。
そんな中VHSの試作機が完成しました。
その出来栄えは満足のいくものでこれならソニーの『ベータマックス』にも勝負できると思った『高野 鎮雄』はその命運を一人の男に託す事を決めたのです。
それが日本ビクターの親会社の『松下電器』創始者であり、経営の神様と呼ばれた『松下 幸之助』でした。
それから数日したある朝、横浜工場に黒塗りの車が一台。
『松下 幸之助』が自ら試作機を見に来たのです。
彼はその試作の説明を受けながら突然立ち上がり試作機に向かって・・・
この後、『松下 幸之助』は何をしたのか?言ったのか?
そしてこの後どうやってソニーに対抗し世界規格へと上り詰めたのか?
物語は佳境を迎えていきます。
それは明日ご紹介したいと思います。