秋葉原通り魔事件
本当にこんな事が現実に起こるのか?
目を疑うような惨事です。
何の罪もない日常を楽しむ人達が無差別に無残に殺されました。
東京の今や名所になった秋葉原、6月8日(日)午後0時30分過ぎ人で賑わい歩行者天国になるその場所に2tトラックで突っ込み、更に倒れこんでいる人達や介抱している人達を次々とナイフでメッタ刺し。
7人が死亡し、10人が負傷。
本当にありえません。
『加藤 智大』
この事件を起こした犯人です。
「正午から歩行者天国になることを知っていた。決意の上での犯行だった」と供述。
更に「ネットの犯行予告に気づいて、だれかが止めてくれればよかった」とも供述。
何て身勝手な話。
殺された人や遺族の方達からすればいたたまれないでしょう。
そして、怪我をした人達の心の傷もまた深いものだと思います。
早くも遺族の方達からは死刑を求める声も出ています。
当たり前でしょう。
これでまた『光市母子殺害事件』のような死刑反対論者の弁護団が出てきたらそれこそ・・・。
言葉になりません。
そんな事にはならないようにと祈りますが、おそらく出てくるんだろうな。
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私はこういう事件を目の当たりにするといつも思うことがあります。
被告自身の自己弁護的な表現がマスメディアで大きく取り上げられ、「心の闇がどうだ」とか、「昔は真面目で、頭が良く、スポーツもできた」とか、などを材料に精神分析や心理学のプロがその被告の心の病理を解析するという姿をよく目にします。
しかし、その解析なり、分析なりの結果が、未来に起こる今回のような悲惨な事件を抑制することができたのか?答えは勿論「NO!!」です。
理論的な検証は勿論必要だとは思いますが、それは事件の背景なりのマクロ的な事象が全て詳らかにされた後に行うべきで、事件が起こった瞬間に何が分かるというのか、私はこのいつもの流れに贖いたくなります。
それにしても、ウンザリさせられる事柄がこの現実社会になんと多いことか。
Fujimuraさん、こんにちはぁ~!
人間は、やはり自分に火の粉が降りかからないと自覚できないんだと思います。
だから、論点がぶれるんでしょう。
今回のような事件の犯人には、はっきりと言って人権なんてモノは必要ないです。
問答無用で死刑と言われても仕方がないと思うのが私の本音です。
それをFujimuraさんの仰る精神分析や心理学のプロがその被告の心の病理を解析するなんて被害者や遺族に対して失礼ではないでしょうか。
どういう流れになるかこれからもこの事件の成り行きは見ていきたいです。
[...] 今朝投稿した記事の『秋葉原通り魔事件』でも行われたインターネット上で犯行予告。 近年こういう犯行予告が多発しています。 [...]
申し訳ないけど苦言を。でも匿名に隠れるつもりはないので、カンベンしてくださいね。
刑事裁判において、弁護人は被告を弁護するのが仕事です。
死刑廃止の信条云々は関係ありません。
おそらく現行法において犯人は死刑に処されるでしょう。それでも、弁護人が被告の立場に立たずして、どうします?世界が敵にまわっても、被告のために働く、弁護人ってそういう存在だと私は理解してましたが、違いますか。あるいは、検察と一緒になって死刑を申し渡せば良いのですか?
被害者、遺族の心のケアって、犯人を処刑したらそれでおしまい、ですか?違いますよね。でも、今の日本の司法って死刑制度の維持には熱心なのに、被害者や遺族のケアがEU諸国に比べてお話にならないレベルなのはぜひ心に留め置いてください。
犯人が死刑にならなければ遺族が浮かばれない、というのなら、(死刑の存在しない)EU諸国の遺族はみんな浮かばれない、ってことになりませんか?問答無用の死刑って、日本を江戸時代=いや、一応江戸時代にも組織化された司法はありましたけど、今よりずっと手続きが簡略化されていたという点において=に戻したいのですか?あるいは、アムネスティも認める中国のような死刑大国が良いのでしょうか。
いかなる凶悪犯であっても、厳格な手続きにのっとって裁かれる。これは、人類が長い歴史の上でようやく手にした大切な司法原則です。腹が立つし、まどろっこしいかも知れませんが、この原則がまわりまわってあなた自身を守ることにもつながるのです。あなたはまだ若いから、直接あるいは間接的に権力を持つ人間の恣意的な法運用の怖さというものがまだわからないかも知れませんけれど(私もまだまだ勉強中です)。
怒りの感情が湧き起こるのは、あなたの精神が健全な証拠です。でも、その感情にまかせて文章を書いて、だれが読むのかわからないweb上にupするのは感心しません(勿論、それを止める権利は私にはありませんけど)。
最後に私は死刑廃止論者ですが、私を軽蔑しますか?
はずさわさんどうも!
弁護人が被告の立場に立ち弁護をするのは当たり前です。
しかし、光市のような訳のわからない論理を振りかざし遺族の気持ちを逆撫でするような弁護方法はいかがなものでしょうか?
それと別に遺族の心のケアになるかは当事者にしかわからない事ではありますが、光市や今回の事件では明らかに遺族がそれを求めているのであればそれを叶えてあげる事で幾分かは救われるのでないでしょうか。
例えばケジメ的なものとしてでも。
それにはずさわさんが仰っている事は極論のように思えます。
別に殺された遺族が全員とは述べていません。
あくまで死刑を求めている人達の話です。
そういう人達の前で今回はずさわさんが述べているような内容を話しできますか?
私にはとてもじゃないですができません。
web上であれあくまで私的なBlogですから、色々な意見を出しこのように意見を交わすのに私は問題ないと考えています。
今後もこのような記事を辞めるつもりはありません。
それと別に軽蔑はしませんよ。
そういう意見があるのも事実だし、理解できる部分はもちろんありますからね。
早速に返事ありがとうございます。今日はこれで寝ることにします。
>光市のような訳のわからない論理を振りかざし<
どの主張に対して「訳のわからない論理」と判断なさいましたか?一応参考までに↓
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/0d076757
138bc3e15ad60a04b184e8e4
まさか、まさかこれらの主張が弁護団の「創作」だなんておっしゃいませんよね?これらは加害者の少年の主張に基づいた「主張」なわけですよ。まあ、私も完全に納得できるかといえば「?」ですけど、弁護するべき少年がそう主張している以上、それに基づいた弁護活動をするのはいたってあたりまえでしょう。これらが「事実」だとすれば、「殺人」ではなく「傷害致死」になるわけですから、放置しておいていい主張だとはとても思えません。
最高裁までの弁護団と、差し戻し審の弁護団が違っているのはご存知ですよね。最高裁までの弁護団はひたすら情状酌量を狙っていたわけです。にも関わらず、差し戻しを命じられた。つまり、事実上高裁に死刑勧告がなされたわけで、そのままだと死刑判決が出される蓋然性が非常に高かったわけです。そうなると、たとえ一般社会からみて奇異に写ったとしても、被告少年の主張に基づいて公判に挑むのは至って当然のことで、彼らは弁護士としての「誠実義務」を果たしているというだけの話です。確かに被害者からみて不愉快な主張ではありますが、この事件に限らず、弁護側の主張が被害者遺族にとって不愉快な事例は沢山あります。それをしてはいかんというなら、そもそも弁護活動なんか不可能です。
>明らかに遺族がそれを求めているのであればそれを叶えてあげる事で幾分かは救われるのでないでしょうか<
そもそも近親者を殺されて、犯人を殺してやりたいくらい憎まない人間がどれほどいるのでしょうか。その論でいけば、近親者が望めば殺人犯は全員死刑に処されるべき、ということになりますね。であれば、復讐をこそ認めるべきであって、「罪刑法定主義」なんてのは無用の長物ということになります。
>別に殺された遺族が全員とは述べていません<
この文章が私の文章のどこを指すのかわかりません。少なくとも私はあなたが「殺された遺族が全員と述べた」という前提では話はしていません。まあ、おそらくEU諸国云々のくだりについてだと判断してコメさせていただくと(間違っていたら指摘してください)、私はあなたの論法でいけば死刑制度のないEU諸国の遺族は皆死刑が存在しないことで浮かばれない思いをしているのか、という問題提起をしたのです。もちろん、近親者が殺されて「浮かばれる」遺族などいないでしょうが、その中にはおそらく理不尽な理由で、理不尽な犯罪者に殺された遺族もいるでしょう。しかし、向こうでは死刑が現実に存在しない。当然、やり場のない怒りでそれこそ気が狂いそうな思いをすることだってあるでしょう。そうなった時、彼らに手を差し伸べるべきは、そして実際に手を差し伸べているのは司法であり、社会であるということを提示したかったわけです。間違っても、今の日本のように、社会の関心は死刑になるかどうかだけで、その後の立ち直りは自分たちでどうぞといわんばかりの社会=これは、いつの分だったか失念しましたが、『週刊朝日』に実例がありました=では絶対にいけないという思いで申し上げています。
>そういう人達の前で今回はずさわさんが述べているような内容を話しできますか?<
きっとこうおっしゃると思ってました。私は例え殺人の被害者でなくとも、事故であれ病気であれ、亡くなった方の遺族に対して自分の主張をぶつけたり、逆に遺族感情を「わかったふり」して同情してみせたりということはしないつもりです(つもり、というのはやはり自分が感情に突き動かされてしまう可能性を否定できないからです)。
個人として遺族感情に思いを巡らすことと、司法制度や社会そのものをどうするかということとは、勿論つながってはいますが、しかし違うステージで考えるべきことです。
>それにはずさわさんが仰っている事は極論のように思えます<
前後してごめんなさい。これもどこが「極論」なのかわかりません。
>web上であれあくまで私的なBlogですから、色々な意見を出しこのように意見を交わすのに私は問題ないと考えています。
今後もこのような記事を辞めるつもりはありません<
やめる必要はまったくありませんし、やめさせる権利も私にはありません。それは、先にコメントしたとおりです。ただ、感情に動かされて文章をupする前に、もう少し事実関係はしっかり把握された方が良いかと思います。何故私が普段この手のネタにコメントしないのに今回コメントしたのかというと、>これでまた『光市母子殺害事件』のような死刑反対論者の弁護団<というくだりが完全に事実誤認だからです。あの弁護団(21名)の中には死刑廃止論者もいますが、存置論者もいます。死刑「制度」について、弁護団は一枚岩ではありません。また、あの事件を死刑廃止に「利用」しているわけでもありません。
・・・と、ぶつくさいいましたが、こちらもあちら(zibunzikan)も欠かさず見てますので、今後ともよろしくです。論争調になって、ごめん!
元々私が言いたいのは、このような事件を起こした犯人に対してどういう処置が適切なのかを私なりに表現した投稿です。
先程から述べていますが、それを自分のBlogで表現するのは自由だと思います。
その為のBlogですから。
もちろん私なりに事実は把握しているつもりですよ。
光市の事件に関してこのBlogでも何度か書いてありますのでもちろんそれなりに勉強はしているつもりです。
はずさわさんがどれほど勉強されたのか、または知っているのかはわかりかねますが・・・。
その中で自分なりの意見で書いてあるので事実把握できていないと思われるかもしれませんが、別にこの場はニュースサイトではないので多少個人の視点での見方が入っても良いと思います。
これ以上はあまりにも長くなってしまうのでこれだけは言っておきたいのですが、「あの事件を死刑廃止に「利用」しているわけでもありません。」とありますが、あれはどうみても「利用」しているように見えますよ。
それは新聞の報道やTVでの報道を見ても明らかではないでしょうか?
どちらにしろ我々は、当事者ではないので当事者にしかわからないのでどちらが正しい正しくないは言えないですね。
ただ最後に私が言いたいのは、自分がその当事者になった場合犯人に対してどう思うのか?です。
そして、その気持ちが裁判の判決によってまたは裁判進行中にどういう心境になるのか考えて欲しいだけです。
まぁ、またお酒でも飲みながら話ますかねw